2004年11月、法華経の研究者であった故久保継成博士が、法華経を始めとする大乗仏教思想の研究を目的に「在家仏教こころの研究所」を設立。
以降、年に四回の頻度で、津田真一博士、松本史郎博士、渡辺宝陽博士他、数多くの研究者の方々を参加者として「法華経思想懇談会」を開催し、そこで発表された論文を、研究所の紀要に掲載して発刊。
また「法華経思想懇談会」主要メンバーと共に、国際仏教学会、国際宗教史学会、日本印度学仏教学会等でパネルを主宰し、法華経思想について議論を深めた。
また、研究所の所員と共に、仏教伝道協会から依頼された、無量義経と仏説観普賢菩薩行法経の英訳作業を完了。同時に、ケルン南条梵本からの法華経の現代日本語訳作業も進めた。
久保継成博士の法華経解釈は、必ずしも従来の鳩摩羅什訳の「妙法蓮華経」と、その天台智顗よる解釈に従うものではなく、妙法蓮華経には見られず、梵本にのみ見出される「菩薩達はさとりを生み出している」「さとりという事の中で修行している」「さとってはなお修行している」という表現を重視し、妙法蓮華経における「仏の覚りは仏になるまで誰にも想像すらできないもの」であり「ひたすら仏の言葉を信じて菩薩行を続けるのみ」という大前提を疑問視し、仏の覚りの境地は菩薩にも瞬間的には共有されうるものであり、菩薩はその瞬間的な覚りを、日々の気づきとして体験し、仏は、菩薩達が自分達が日々を気づいた内容を互いに語り合う場を作ることを期待すると解釈している。
つまり、覚りの境地は仏に成るまでは触れることも想像することもできないものだという従来の妙法蓮華経に基づく解釈で考えられてきた当然の様な大前提を、久保継成博士は根本から覆し、仏は覚りの境地に完全に定住することができるようになったから仏なのであるが、菩薩でも凡夫でも瞬間的な気づきとして、仏の覚りの境地に触れることはできると解釈したのである。
そして、菩薩達は、日々、瞬間的に覚りの境地に触れ、ささやかな気づきを得、各自が気づいた内容を、話し合う場で、互いに語り合うことで、そこで相互に新たな気づきが誘発され、そのような輪が広がっていくことによって、気づきの連鎖が無限に広がっていくことが、法華経が我々に期待することであると解釈したのである。
つまり、法華経を実践する者は、一人一人が法師として、自らのささやかな気づきを周りの人々に伝え、それを聞いた人がまた気づきを得、それをまた法師として他者に伝えることで、法華経に触れる者は全員法師となって、その法を無限に広げていくということこそが、法華経が我々に期待していることであるという、従来とは少なからず異なる解釈を打ち出した訳である。
「在家仏教こころの研究所」は、このような久保継成博士の新しい法華経解釈を、学術的にも検証、継承していける研究者を養成し、更なる新しい研究成果が生み出されていくことを期待されて設立された。
2023年にこの「在家仏教こころの研究所」は「仏教学こころの研究所」と改称されたが、在家、出家の違いを超えたより普遍的な仏教の本質を探究していくこと期しての改称であった。
